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初めて水俣に潜ったとき その1

水俣って本当はどういうもの?

そのほかのエピソードはじめて水俣に潜ったとき.jpg




















1995年の秋のことだった。その当時、熊本で生活する私にとって水俣湾の仕切り網問題は、毎日のように新聞やテレビで、撤去するか否かについて報道に触れていた。それまでは水俣病のニュースは見聞きはするものの、同じ熊本とは言え正直他人事としてみていて、真剣に知ろうともしていなかった気がする。
その頃、ダイバーであった私は、少しずつ海から物事を見るようになっていた。
仕切り網というもので海を仕切られている水俣、一体全体どういうものなの?仕切り網って。そんな気持ちからだったろうか、とにかく一度自分の目で見てみようと思った。マイナスイメージばかりを持つ水俣湾への興味は、半分は怖いもの見たさだった。このとき、水俣湾に住む底ものの魚を調べた結果、水銀濃度は国の定めた基準値を下回っているから安全、と言われいた水俣湾だった。
しかし私の頭の中では、もしかしたら未だに奇形の魚がいるのではないか、仕切っているはずの網は破れていて意味を果たしてないのではないか、という少し曲がった見方をしていた。
熊本市内にある知人のダイビングショップ「リバーウエーブ」(現「バウライン」)でタンクを借り、友達数人と水俣に向かった。

水俣に以前行ったときに、潜れそうな場所を決めていた場所に向かう。まずは岸から海にエントリー、エキジットできそうな場所だ。そこは昔、海だったところを埋め立てられた場所である。今はきちんと整備された公園になっており、サッカーや野球の試合、たまにはコンサートも開催されている。

まず1本目、海に落ちないように設置された鎖をまたぎ、海へ飛び込む。陸にいるカメラマンにニコノスRSを手渡してもらう。
すぐに潜降し、海をのぞくと思った以上に濁っている。地形もわからず怖くてドキドキする。と思っているとあっという間に海底に着く。3メートルくらいか。
すると目の前をヒラメがすごい勢いで泳いでいった。きっと私が着底した岩の上にいたのだろう。そこから少し移動し、水深10メートルほどになった。透明度が悪いので、10メートルもいくとかなり薄暗い。やっぱり怖くて一度浮上。このときの怖さは、水銀による怖さでは全くなかった。正直言って水銀の怖さをそこまで知らなかったかもしれない。
水面から顔を出し、私が見たい仕切り網を水面から探す。遥か向こうの恋路島という島の付近に見えている。そこで一度上がって考え直す。その恋路島に行くまでの水深もわからない。透明度も悪い。きっとタンクのエアーも持たないだろう。

水面を泳いで恋路島を目指すことにする。恋路島まで200メートルくらいだろうか。下が見えず何がいるかわからない海での水面移動は結構こわい。変なものから足をつかまれそうな気分にもなってくる。仕切り網まではもう目前だ。


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