思い出の仕事

スコール.での初めての海外ロケ

はぐれてしまったワタシ。。。

初めての海外ロケ.jpg

はぐれる前の私の姿。撮られていた事も気付かず夢中で撮影していた。はぐれるのもうなずける。


株式会社スコール.に入って初めて海外ロケに同行させてもらうことになった。さらに自分の水中カメラも持って行っていいという師匠の許可がおりた。もちろん師匠のアシスタントをきっちりやってからのこと。行き先は初めての地、インドネシア・メナドの海。今回は、昔から師匠がおせわになっている旅行会社BJプランニングの工藤幸子さんのご好意によるもので、私の分まで準備してくださったのだ。そのとき自身で撮った写真は、熊本時代にお世話になった新聞社に掲載してもらうことも決まった。
気合い、やる気は十分。あとは現地でどれだけいい仕事ができるか、だ。

出発まで、師匠と持っていくカメラの選定をして、ジェラルミンに詰め込んでいく。飛行機で超過料金を取られないぎりぎりの重さを体重計に乗って計りながら。そんなとき、私の持っていくカメラがネックとなってくるのだが、そこをなんとか持っていくことができるよう、うまい具合に目立たないよう梱包していかなければならない。
「お前のストロボでかいなー。なんとかならんか。」
と言われつつも当時はそのストロボしか持っていなかったのでいたしかたない。まあそれでもなんとか梱包も無事に終わり、あとは出発を待つばかり。それまでに国内では何度かロケに同行しているが、師匠と海外に行くのは初めてなので要領を得ない部分も多かった。メナドへは工藤幸子さんも同行していただいた。師匠は私のことを誰かに紹介するときに、熊本から無理矢理押しかけて来たことと、よく食べることを必ず言っていた。もちろん工藤さんにもそのように紹介されていた。
「ほんとたまきはよく食べるねー」
と工藤さんにも認められ、おかげでメナドではおいしいものを次から次に食べさせてもらった。
ロケに行くと数キロは痩せる、と卓哉氏からは聞いていたが、私はロケに行くとなぜは数キロは重くなって帰っていた。一人暮らしの反動からか、体重計のない生活からか、お恥ずかしながら弟子入りしてから太ってしまったのだ。あり得ん。それでも東京の生活に慣れ始めると徐々に元の体重に戻っていった。

話はメナドに戻す。
いよいよ初日のメナドの海、まずは自分のカメラは置いていくことになった。師匠の撮影の邪魔にならないよう、カメラ持ちに徹した。それにしても、メナドは面白い被写体が多くそそられる海で、撮りたくてうずうずしていたのを覚えている。
二日目、いよいよカメラを持っていく許可が出た。「中村さん、ありがとうございます!」と感謝の気持ちでいっぱいだった、のだが・・・。

その日のお昼頃、船上では
「今までの弟子の中でおまえは一番最低の弟子だ!荷物まとめてさっさとクニへ帰れ!」
と言われてしまった私の姿があった。
ダイビングは必ずバディを組んで潜るのが鉄則。そして師匠の撮影の手伝いをするのが私の一番の仕事。
なのに、なのに、、、、そうです。自分の撮影に夢中になるあまり、はぐれてしまったワタシ。
「すみません、すみません、ごめんなさい。」
と謝り続け、なんとか師匠の怒りがおさまりつつある頃、次のダイビングが始まった。
それからというもの、「気持ち悪い」と思われるくらい師匠の後ろにべったり張り付き、気が利くアシスタントと思われたい一心でとにかく頑張った。

次の日、カメラを持っていく許可が再度おりた。被写体を見つけると、まずは師匠が納得いくまで撮影をし、そのあと”撮れ撮れ!”というジェシュチャーを私に見せてくれる。昨日はあんなに怒られてしまったのに・・・と師匠の優しさに感謝しつつ、出来上がりを想像しながら撮影を楽しんだ。
帰国後、すべてのフィルムを現像する。撮った写真を師匠に全部見てもらう。
「これはもっと寄らないと。切り取り方が中途半端だ。」
と言いながらも、良い写真があるとめちゃくちゃ褒めてくれた。本当に褒め上手の師匠。
今フィルムを見返すと、褒めるところがあまりない中で、良いところ一生懸命見つけようとしてくれていたんだなーとつくづく思ってしまった。
その後、ロケの失敗、ロケの思い出などをしっかりと記した内容で、自分の作品も絡め、熊本日日新聞社発行の「すぱいす」に掲載されることとなった。


前のページへ

次のページへ